今はあまり取り上げられることがほとんどなくなりましたが、昔は「ブランド依存」がものすごく流行りました。
高級品で身を飾ったり、高級店で食事をしたりすることが、自分のアイデンティティや地位と勘違いしている人がたくさんいました。
今の言葉でいえば、「セレブ同一化幻想」みたいなものでしょうか。
自分は本当は何が欲しいのかわからないから、とにかくお金を使うしかない。
お金をたくさん使うことで自分をごまかしていたのです。
一種の心の病でありながら、しかし、それが「おかしい」という認識がほとんどされなかったのは、ブランド依存状態であっても生活に支障をきたさないからです。
散財の問題はあっても、仕事もできるし、家事もできる、人間関係も悪くない、だから病んでいると思えるわけがないのです。
ですから当時は他人から「おかしさ」を指摘されても、「私って何をしているんだろう?」といった自分に対する問いは生じず、批判する人たちを「あれは妬(ねた)みだ」、と一蹴していたのです。
今では、そういう人たちは「バブル時代の人」などといわれて、あきれられる対象になっています。
現在は、ブランド好きはいてもブランド依存はほとんどなくなりました。
が、お金を必要以上に稼ぐこと、また稼ぐことに対する高い評価に関しては依存ともいえるほどの「おかしさ」をみせています。
しかしその「おかしさ」を指摘すると、いまの時代では「それは稼げない人の妬みだ」と一蹴されがちです。