だんだんと個性が重んじられるような世の中になってきていますが、個性が認められれば認められるほど、生きる道を自分自身で切り拓いていかねばならなくなりますから、とてもしんどくなります。
個性が認められていなかった昔の日本のような社会であれば、決められた道を言われた通りに歩めばよかったのです。
そこに自由や面白味はあまりありませんが、生きるのは楽でした。
しかし、個性を出してもいいことになれば、それは単純に自分の好きなように生きられるのではなく、自分で考え抜かなければ誰も導いてくれないということです。
そして、それぞれ個性をを出している人たちと討論したり議論を重ねて、自分の主張を相手に納得させるだけの能力を身につけなければなりません。
いまの日本人のように、世間が個性を認めてくれないと不満を言い、嘆いて、社会を責める水準から脱しないといけなくなります。
現在の水準では、「どうぞ個性を発揮して生きてください」と言われても、多くの人たちはどうしてよいかわからなくなります。
あるいは、ある程度、個性的に生きてきた人でも、時期が来ると、誰とも同じでない孤独感に耐えられなくなって、結局、周りの人が何をしているかを観察して自身も皆と同じような生き方をするようになります。