精神主義・気合・根性
世俗的な祭り、あるいはお祭り騒ぎを好む人たちの中には、短気で多動、また衝動的であり、繊細に振る舞うことが難しい人がみられます。 科学的、合理的な考え方が苦手であり、きちんと深く考えるという行為が難しい人もいます。
つらさや悲しみを伴わない「癒し」は存在しません。 自分が癒されるには、相当の体験を経なければ「癒し」は訪れない。 ですから、つらさや悲しみを味わいたくない人たちは、癒しなど求めずに、「私は何も問題ない」と言って、つっぱって生きています。 我の…
「いまの人たちはメンタルが弱い」などと言われることがありますが、昔からずっと人間はたいして変わっていません。 いまの人たちに対して「メンタルが弱い」と感じるのは、自分が歳をとって図太く厚かましくなったから、そう感じるだけのことです。 ですか…
仕事において、自分自身に強い圧力(ストレス)をかける人もおられます。 たとえば目標必達とか売り上げ倍増とか、あるいはどこそこに勝つとか己に勝つとか、あるいはお客や従業員のために仕事を一日も休まないとか。 そうした自己圧力(ストレス)が強いあ…
相手に対して「メンタルが弱い」と言ってけなしてみたり、自分に「メンタルを強くする」と言い聞かせてみたりする。 いまだに日本人には精神論や根性論が根強く残っているように感じます。 精神論や根性論は時代と共に否定されてきましたが、精神や根性とい…
生きる力(エネルギー)は、人それぞれもっている強さが違います。強い人もいれば弱い人もいます。 ですから、それぞれもっている強さに応じて、その人のことを考えいくことが大切です。 ただ単に頑張ることが大切だとか、努力することは良いことだとか言う…
よく聞かれるのが、「向上心のみえない人は好きじゃない」という発言です。 向上することに対して意欲があるのなら、相手のことは関係なしに自分が向上すればいいのです。そして、ご自身が立派になればいい。 もしくは、向上心のみえない人の相談にのってあ…
「勝つぞ、勝つぞ」という精神でいると、周りが競争の世界に変わります。 そうすると常に競り合っていて気持ちが休まりません。 それゆえ、人によっては身体に痛みが出てきたり、食欲が低下したり不眠症になる人もいます。 かといって、競争から降りてしまう…
ポジティブ・シンキングといったものも一種の精神論みたいなものです。 前向きに考えれば気分も状況も変わるということでしょうが、これが通用するのは、まず前向きに考えられる活力をもった人であることが前提であるし、前向きに考えただけで解決するような…
「いまの人は根性がない」などと年配の人が言うことがありますけど、これは若い人を批判したいのではなく、自分が大変なおもいをしてきたことを理解してほしいということです。 苦難の時期を経てきた自分のことをもっとわかってほしいのですが、それを言うこ…
体育会系や不良(ヤンキー)を自認する人たちは、年齢、言い換えれば生まれた早さ・遅さにこだわることがみられます。 「歳が上か下か」という先輩・後輩にこだわり、学校を卒業してからもその呼称を使い続けたりします。
無理してつらいことや苦しいことを体験したからといって、精神が鍛えられるわけではありません。
人と自分を比較しなくなりますと、「これをしなければ」「あれもしなければ」という焦る気持ちも減ってきたりします。 ただ、人と比較しないでいることは難しいことです。 焦る気持ちを抱えている場合の問題は、たとえば、人から「そんなに頑張らなくてもい…
人は自分の限界を突破できません。突破すると精神が崩れてしまいますから。ただ、自分が限界だとみなしている枠は突破できます。
心が強い弱いという区分は好きではありませんが、世の中には心が強い人もいれば、心が弱い人もいます。 様々な人たちがいて世の中が成り立っています。 ですから、全員が心を強くする必要はありません。
頑張るのはいいのですが、「私は頑張っている」と心の中で感じている人ほど、たいてい相手にも頑張りを要求し、厳しいことを言ってたりします。 頑張りたいのなら、自分が頑張ればいいのです。相手ではありません。 相手にも頑張ることを強要していたら、な…
心を病んだり精神を病むのは、心が弱いとか精神力が弱いのが要因ではありません。 病んだ人たちをそのような要因で見下している人がおられましたら、その人は自身のことを心や精神力が強いとみなしていることになります。 しかし、そういう人は心や精神力が…