嫌な思いをしたら、そのことを話し、私に聞かせてください。
嫌な思いをしたら、そのことを話し、私に聞かせてください。
柔軟に対応する、言い換えれば適当に対応することは、それができる人には何でもないことですが、それをするのがひどく難しい人もいます。
日本は調和を重んじる国ですから、「まあ、まあ、みんな共同で仲良く…」という感じで、誰かが突出することもなければ、誰かが責任をとることもなく、みんなでどうにかします。
そんな曖昧なままにしておく民族です。
一方で欧米は自立を重んじる国ですから、「私はこういう人間で、こう考えます」と明確で、自分の立場と責任を明確にするし、自分が自身を統制できていることで安心します。
そんなハッキリさせる民族です。
知り合いの外国人が「日本語の「しょうがない」という言葉はいい言葉だね」
と話したことがあります。
「単に諦めるのでもなく、無理して明るく振る舞うのでもなく、ダメなときはダメでいいじゃないか、そんな時もあるさ、というような感じがいいんだ」って言うのです。
人の心を読めない、でも対話能力に長けた人もおります。
そういう人のなかには相手の感情が読めないがゆえに、その卓越した対話力で他人を論破したり、圧力をかけて萎縮させてしまう、こうした問題も生じています。
容易に変わらない心の性質を性格と呼び、容易に変わらない自分の環境を運命と呼びます。
性格や運命がころころ変わったら大変なことだし困ります。
ですから「性格を変える」「運命を変える」という語句は、ほぼ矛盾した言い回しです。
たとえば「私は、人間を超えた人間である」と言っているようなもので、人間を超えたなら人間とは呼べないのですから矛盾した語句になります。
俗に言う「性格を変える」というのは、一時的におちいっている行動傾向や心理状態を変えるという意味で使っており、俗に言う「運命を変える」というのは、一時的におちいっている渦巻き状況や循環人間関係を変えるという意味で使っているのでしょう。
「人生を変えたい人は私のセミナーを受けてください」、などと自身の商売の宣伝をしている人たちがおられます。
そういう宣伝をしている一方で、彼らは神社へ行っておみくじを引いて「今年も良いことがありますように!」などと願っていたりする。
面白いことです。