見方
誰が書いた本を読んでいるかで、その読んでいる人の知的水準や思考傾向(方向)がわかります。 また、どの発行所から発行されている本を読んでいるかでも判断できたりします。
自己中心的ではない人でも、人間(人類)中心的な考えになっていることは多いです。
この世界がどう見えているか、どう感じられるかは、人によってそれぞれ異なります。
「私はポジティブに生きている」と言っている人のポジティブが、自分に都合がいいように解釈したポジティブであることがよくみられます。 たとえば、「自分や相手に否定的なことを言わない」といったポジティブを実践しているのは素晴らしいのですが、一方で…
一般人が「日本を変えていこう」などと言っても、周りの人は「まあ、頑張って」くらいにしか思わないけど、首相が「日本を変えていこう」って言ったら、国民が「そうだ!頼むぞ首相」となります。 何かを言う際に、「誰」が言うかで、その内容の価値が変わる…
見方を変えることは、精神的に余裕があるからこそできることです。 余裕がないときに見方を変えるのは無理なことです。 目の前のことに対処するだけで精一杯なのですから。
感情が静まると、「どうしようもない」「もうダメかも」と思えていた問題が解けたりします。 また、「こんな状況、打開できるはずがない」と思っていた問題でも、その状況が過ぎ去ってみれば実際に解かなくていいものだったと気づくことがあります。 私たち…
自分の考えを変えようとしても、そこに感情や気持ちの揺れや変化が伴っていないと考えはほとんど変わりません。 感情や気持ちの揺れや変化が生じるためには人との関係が必要で、人とやり取りすることによって感情や気持ちが動きだします。
私たちは「自分を客観視できるようになりなさい」とか、「状況を客観的に見れるようになりなさい」と言われて育ってきます。 それゆえ、客観の意味はだいたいわかっています。 ところが、主観視するとか、主観的に見るということを真剣に考えたことがないの…
いま流行っている見せ方は、○○対××といったように、二つのものを対立させて、どっちが良いか、どっちが優れているかというふうに見せる仕方です。 「金持ち」対「貧乏」、「男」対「女」、「幸せ」対「不幸」、「成功」対「失敗」、といったように対立させる…
私たちは人を型に分類して理解しようとする傾向があります。 たとえば血液型や何々系の人とか、人をタイプ別に分類して相手を理解しようと考えがちです。 なぜそうするのかといったら、そうした方が相手を明快で簡潔に把握でき、他人にも伝えやすく、共感を…
生活していれば失敗することも出てきます。そんな失敗した話を私に語ってみてください。語って話し合っているうちにまた違った見方や知恵が生まれてくるものです。
私たちは現在の社会の価値観のなかで生きています。その価値観が自分に合っている部分は何も気になりませんが、その価値観が合わない部分では疑問や不満や生きづらさを感じることになります。 私が生きてきたこの数十年間だけでも随分と価値観が変わりました…
ちょっとした悩みであれば、視点や考え方をポジティブに変えてみたり、全体を見渡せるように客観的な見方に変えてみたりして、悩みを悩みじゃなくしていくこともできるでしょう。 また精神的に余裕があるときならそれもできるでしょう。 しかし、生きること…
この現代を生きていますと思考や見方が偏ってきたり、狭くなったりします。 世の中から特定の影響を受けたり、感化されたりするためです。 それを感じている方も多いと思いますので、どのように偏っているのかを知りたい場合は私にご相談ください。
世の中で役の立つことをしようと考えてしていることが、実際には世の中に迷惑をかけていることもありますし、逆に世の中で役に立っていないと考えられていることが、実際には世の中を助けていることもあります。
ドリトルというのは、“do little”の読みをカタカナにしてもので、「ほとんど何もしない」という意味です。 何もしないことが良い結果を生むこともたくさんあるんだよ、ということです。 最近は「何かを成し遂げること」や「目標を決めて達成すること」が素晴…
親が口やかましくて嫌に感じている時に、その気持ちを諭(さと)すように、「親が口やかましく言うのは、あなたに幸せになってほしいからだ」と言われる人もいます。 そう言われると、「そうか、そう考えないといけないな」と思う一方で、でも「そりゃ、そう…
「外側からはつらいようにも、あるいは悩んでいるようにも見えない」のが人間です。 友達とも仲良く、恋人もいて、仕事も順調にやっていて、一見何の問題もないように見えるのが人の見え方です。 ところがいったん家のなかに入ると親や子の問題を抱えている…